広報にしあわくら 2021年9月号より

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目次

特集 覚悟と誇り
村の6大ミッション
あわくら会館
にしあわくらっ子
にしあわくら年表
村からのお知らせ
社協だより

特集 覚悟と誇り

写真 白岩 秀之さん

ー 覚悟と誇り ー
 西粟倉村別府地区で畜産業を営まれている白岩秀之さん。どうしても林業が注目されがちな西粟倉村ではありますが、今から約60年前の昭和36年、村内でも本格的に畜産がスタートしました。
白岩さんのされている酪農は岡山酪農の中でも1番小さい規模。しかし、村内では保育園の子どもたちのお散歩コースになっていたり、小さな頃から酪農に触れる大事な機会にもなっています。約46年に渡り畜産業に携わられている白岩さんに、西粟倉村の畜産業の変遷や、村内ならではの飼育方法、そして「この特集をみて畜産業をやってみたい人が現れてほしい」という想いと共に、これからの畜産業についてお話を聞きました。

ー 酪農家の1日 ー

 そもそも酪農とはどんなことをするのか、白岩さんに1日のスケジュールを聞いてみました。

「いつもだいたい朝の3時半に起きます。4時前から牛舎に向かい、牛舎の掃除をしたり牛にエサをやります。寂しいのでクラシックやラジオを聴きながら(笑)そして5時頃から搾乳を開始。7時頃まで作業し、身支度をして9時頃から今度は稲作りの作業を始めます。お昼はわりとゆっくりしていますが、夕方4時頃から再び牛舎へ。堆肥をとったり牛舎の清掃をして、エサをやり、夜7時頃作業を終えます。」
と、まだ夜が明けていない早朝から日暮れまでのハードなスケジュール。昔は早起きがものすごく苦だったと話されていた白岩さんですが、今ではすっかり早寝早起きが習慣になっているようです。
 休日も平日も関係なく毎日の作業をこなされている姿からは、命を預かっている責任感と牛達への愛情がひしひしと伝わってきました。

ー 村内ならではの工夫 ー

 牛に美味しいお乳を出してもらうためには工夫も必要です。牛はとても繊細で、ストレスを感じやすい動物であるため、特に夏は暑さで弱り、エサを食べなくなってしまうことも。そのためエサは涼しい時間帯に少しずつ回数を増やして与えるなど、常に牛にストレスを感じさせない飼育を心がけておられます。ちなみに西粟倉村でよく採れる山菜「わらび」は牛にとっては大敵です。わらび中毒を起こし貧血になる原因の1つになってしまうそうです。また、堆肥を作るにあたり牛の敷き材に村内企業「ようび」の製品の製造過程で出るおがくずを使用されています。スギ・ヒノキの木くずは早く腐り、水分調節に優れているので堆肥作りに適しています。こうした畜産の一辺にも西粟倉村の森林が有効に取り入れられていることを知り、林業、畜産業、農業と、ここでも繋がりができることに気づかされました。

 ー 西粟倉村の酪農 ー

白岩さんが持たれている資料によると西粟倉村で本格的に酪農がスタートしたのは昭和36年。村内で20戸ほどの酪農をされている方がおられたそうです。その頃、西粟倉の農協が蒜山からジャージー牛を各農家に2頭ずつ導入したのが始まりです。酪農が始まった当初は村内全体で搾乳した牛乳を学校給食の時に飲んでもらう事業もあったようです。その後ジャージー牛からホルスタイン種に転換されていきながら昭和44年頃には西粟倉村に約100頭の乳牛が飼育されていました。当時は経済的にも酪農はよかったので酪農家戸数も安定しており、昭和45年には15戸ほどあり、酪農家戸数は減りつつも、1戸あたりの牛の頭数は増加していきました。しかしながら、昭和60年代から酪農家数、牛の頭数共にどんどん減っていき、現在村内では酪農家戸数は2戸のみとなっています。

ー これからの酪農 ー

 昭和40年頃白岩さんが酪農を始められた頃は、日本人は栄養不足で動物性タンパクの需要が非常に高まっていました。乳価も毎年上昇し、酪農だけで生活が送れていたそうです。当時は搾乳を行い、牛乳を出荷することが主でしたが、今の時代そしてこれからの酪農は変わっていく必要があると白岩さんは言われています。「僕らがやってきたことは搾乳することだけだけれど、これからの酪農は6次産業化していくのだろうなと。自分で作って、自分で加工して、製品にする。そして作っても人に任せて売るのではなく、自分で価値を決めて販売する。そういう農家になる必要があると思う。」農家としてお米も作られている白岩さん。牛乳を生産する過程で堆肥が出来る。その堆肥を西粟倉の田んぼに還元する。そして、その田んぼで栽培されたお米をみんなに食べてもらう。こうして白岩さん自身も西粟倉の酪農から1つの新たなサイクルを生み出されています。酪農も一つのことにとらわれず、時代やニーズに合わせて臨機応変に対応する必要があることが分かります。それと同時にこれから様々な形に変えていける、自分のやりたいことに繋げていける可能性が多くあることも感じました。

ー 使命感と責任感 ー

 白岩さんが酪農を始められたきっかけを聞くと、「子どもの頃から大人になっても西粟倉村にいると決めていました。農業学校を卒業後すぐに家業であった酪農を始めました。都会に憧れることはまずなかったですね。」と、西粟倉村に居続けるという幼い頃からの想いを変えることなく、今まで西粟倉で酪農業に携わられています。そこまで酪農を続けられている理由もお聞きしました。「基本的には一人だから、代わりもいないし、風邪をひいたときや怪我をしたときは大変でした。でも、休むときは辞める時だと思ってやっています。他の人はいれば甘えもでてきてしまうけれど、自分がしないといけないという覚悟があるから続けられています。そういう覚悟があれば絶対にやれると思っています。」思わず、かっこいいですねと声を漏らす私たちに、「いやいや、逆に格好悪いんで。代わりもいないし、休みもないブラック企業だからね。」と笑いながら話す白岩さんは大変な覚悟をされながらも、酪農という仕事を楽しみ、誇りに思われているように見えました。

ー 最後の仕事は後継者探し ー
 現在、全国的に畜産農家が後継者不足に悩まされています。新規で畜産を始められる方も、ものすごく少ないようです。そんな中で白岩さんは「自分の最後の仕事は、この畜産の後継者をつくることだと思っている」と言われます。中には、これからの畜産を始めてみたいけれど、どう始めていいかわからない人もいると思います。そのような人達には「始めたいと言ってきてくれる人がいればもちろん受け入れます。何かのきっかけができればいいですが、このままだと西粟倉から牛がいなくなってしまうので、誰がどういう形でもいいので続けていってほしいです。」と話されていました。
西粟倉村での畜産業。牛という生き物の命を預かる覚悟と責任は重くのしかかるかもしれません。しかし、白岩さんからのバトンを受け継いで、これまでのやり方のとらわれず、新しいことを始めてみる。まだまだ畜産のやり方は幅広く、いくらでも自分の色に変えていける、チャレンジできる場所に違いないと思いました。

白岩さんのインタビューでも、これからの畜産業は自分で作り、加工して、販売する六次産業化への変化が重要となることや、乳牛だけでなく肉牛の飼育も行うなど、たくさんの可能性に触れられていました。
畜産業に興味がある・始めたい方は西粟倉村役場へお問合せ下さい。
西粟倉村産業観光課 0868(79)2230
(※広報誌内記載の電話番号に誤りがございました。お詫びを申し上げるとともに上記のとおり訂正させていただきます。)

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