粟倉漆器尾崎漆工房 尾崎正道さん
職人が少ないジャンルながら、工夫次第で幅が広がる仕事として「漆」を選んだ
造園業やNGOの仕事で海外を点々としながら自分に何がで きるかを模索していた尾崎さん。
33 歳で帰国したときに改めて自分と向き合い、海外に日本の伝統文化を伝えられるものづくりに 携わっていきたいんだと気づいたという。
昔から好きだったものづくりで何をしていこうかと迷ったんですが、例えば陶芸だと日本中にやっている人がいる。そうじゃなくて、職人が少なくなっている業界のほうがいいなと感じたんです。さらにその製品だけを作るより、工夫次第で仕事の幅が広がるような仕事がしたいなと。もの作りが好きだからこそ、いろんなものが作れるような技術を習得したくて、漆を選びました。
食べていくのは難しいだろうけど、ここで妥協してしまったら、2度と挑戦できる機会はないかもしれないと思って。それで石川の輪島漆芸技術研修所に入り、漆塗りを学びました。
途中、研修所で働いているボイラー技師の方と仲良くなったんですが、彼は実はろくろを回す木地師でもあったんです。それで夕方や休みの日に頼み込んで木工を習い、練習としてお椀とか茶道具を作ったりして木工の技術も身につけていきました。
研修所を出てからは町の輪島塗の工房に入り、しばらくほぼ無給で働きながら漆の技術を学んでいました。本当はすぐにでも独立して自分のものを作る工房をやりたかったけれど、お客さんもついてないし、蓄えもない。それで工房で働きながらバイトもしつつ、夜や休みの日に食器なんかの作品を地道にコツコツと作り続けていました。いざ独立した時に、何を作っていいかわからない、見本もない、では話にならないからね。
そろそろと思っていた頃に、知人に西粟倉の古民家を紹介してもらって、そこが工房も持てる広さがあったこともあり、移住を決めました。
雅楽のできる漆職人2つの特技が唯一無二の武器に
雅楽の楽器を作れる人間は現在日本に数えるほどしかいないという。一方で、お寺の法要や神社のお祭りといった伝統行事で、雅楽の楽器をメンテナンスできる人材のニーズは確かにある。
尾崎さんの勝算はそこにあった。
1つのことをできる人というのはそれなりにいるかもしれないけれど、今の時代その1つの専門性だけでは難しい。でも2つの特技を持っているというのは、場合によっては唯一無二の武器が生まれる可能性があるんですね。斜陽と言われる産業の中で、食べていけるか考えた時に、ただ漆が塗れるというだけの人だとゆくゆく廃業になりかねない。
それで僕がもう1つ漆にプラスアルファしたのがたまたま雅楽だったんです。
僕の育ってきた環境では、子どもの頃から雅楽が身近にありました。高校では雅楽部に入り、篳篥(ひちりき、雅楽で使う管楽器)を担当していた。卒業後も結婚式などで篳篥を演奏するというバイトをやっていて。昔から、雅楽ができればいつか何か役に立つだろう、とは思ってはいたんです。
雅楽の楽器を修理するとき、大部分は漆塗りの作業になるんですが、楽器師の人は楽器を作れるけど、漆のプロではないんです。そうなった時に、漆について広範囲の知識がないと、修理が適切にできない。
でも、僕は漆の技術を専門的に持っていて、どんな状態のものでも対応できるし、その中で一番時間がかからず一番綺麗に仕上がる手段を選び抜いてできるんです。
結果、その強みを活かして、現在の収入の8〜9割は雅楽の道具関連となっています。
幅の広さで選んだ漆の仕事突き詰めることで、自分にしかできない仕事に
雅楽は千三百年、漆は九千年以上前から続く伝統文化。根拠なく「やらなかったら後悔するだろう」と感じて漆の道から入った尾崎さんだったが、2つの伝統を過去から未来に繋ぐことができる貴重な人材になりつつある。
元々、笙(しょう、雅楽で使う笛)というのは分業で作られている側面があって、僕も分業で仕事をもらっているんですが、今後はイチから竹を切って、乾燥させて、加工して楽器自体を作る、というところまでやろうかと考えていて。やっぱり自分で作ることでより深い部分を知って、その世界観を追求したい、という想いがあります。
僕は雅楽と漆というのは絶対なくならないと思っているので、必ず自分の仕事として生き残っていけると思っています。初めに、漆はいろんなことができるから漆を選んだと言いました。他にできる人が日本中探してもいくらもいないという仕事を突き詰めて、中途半端なことをすることなく専門分野を深めるほど、自分自身の仕事は確立されてくるんじゃないかなあと思っているんです。 今はその過程で、それを一生かかってどこまで深められるかは分からないですけど、死ぬまで追い求めていくものなんだろうなと。若い頃は好奇心が強かったので、結構色々なことをやってみたかったけれど、今となっては他にないというか、これしかなかったなと思っています。
雅楽は1000年以上も前から伝わってきたもの。それは、実はすごいことなんですよね。漆も縄文時代から使われてきたものです。それらがいつか使われなくなり、終わってしまう日が来るかもしれないけれど、前の時代から次の時代に伝える歯車の1つになってみるのもいいかなと思っています。
写真:MOROCOSHI(https://morocoshi.com/)